継続的な学びの場として参加している、ツナゲルアカデミー。
その中で「分相応」って自分で勝手に自分に蓋をして、「自分には価値が無い」と決めつけているに過ぎないのでは?と言う話がありました。
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話のきっかけとなったのは、「臆病な僕でも勇者になれた七つの教え」という本。
青い髪をもって生まれてきてしまったために、「化け物」と呼ばれる主人公キラ。
そんなキラが老師との出会いをきっかけに、勇者として歩むというストーリーの小説です。
勇者になろうとしたキラが、まずしたのが勇者として振る舞おうと言うこと。
自分を全肯定して、勇者としてのふるまいを続けるうちにやがて、勇者として生まれ変わるという話だそうです。
臆病な僕でも勇者になれた七つの教え | ||||
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「分不相応」というのは、自分が勝手に自分がそのレベルに達していないという風に決めつけているだけで、自分が思うほどそんな風に人は見ていない、と言う話でした。
僕の中の分相応という思い込みを1つ解除した
僕も「分不相応」と思っていたことのうちに、「家の中に花を飾るのは、女性やゆとりのある人がやることで、男の僕がやるのは分不相応」と思っていました、
ツナゲルアカデミーの「分不相応」と言う話だけでは、腑に落ちなかったかも知れませんが、ライトニングトークの「男一人でフルーツパーラーにパフェを食べに行く」という話を聞いて、たがが外れました。
今日さっそくスーパーで切り花を適当にいくつか買ったのですが、やっぱり「男が花を買っている」という姿に恥ずかしさを感じました。
でも、花を飾ると部屋の中が華やかになりますし、意外だったのは妻に褒められたこと。
「花なんて買ってくるなんてー!」とてっきり冷やかされるのかと思ってたのですが。「どこで買ってきたの?いいね!」と言われたのが意外でした。
どの切り花にするのか選ぶのも、レジで精算するのも、花瓶に生けるのも全て照れくさかったのですが、たぶんこの根底には「分不相応」というのがキーワードとしてあるんだと気づきました。
しばらく、この家に花を飾るというのを続けて「分不相応」という違和感から抜け出したいと思います。