現在受講中の「ツナゲル ライフ インテグレーション講座」は、2日間×4講の講座が5ヶ月間にわたって開催される長期間のセミナーです。
またその開催期間中、受講生同士で日々の成長を報告し合うFacebook上の場が設けられており、その場限りの講座では無いことも、学びの場としては効果的だと考えています。
第3講の1日目は、立花さん、彩子さんが考える時代の流れについてでした。
脱サラした立花さんと、そもそも会社で働いたことのない彩子さんが読む、これまでと今とこれからの時代の流れは、なるほどと思うところが沢山ありました。
一方で、どっぷりと会社に身をゆだねているサラリーマンには、なかなか受け入れ難い内容でした。
目次
「ツナゲル ライフ インテグレーション講座」第3講 1日目 今の時代と世界の流れを知り、内向きから外向きにベクトルを変える
ピラミッド構造からネットワーク構造に
これまでの会社と言う組織体はトップがいて、その脇を固める役員がいて、その下に指揮する幹部がいて、社員がいるというピラミッド構造でした。
この構造は、いわゆる「支配と依存」の関係です。
しかし、インターネットが普及したことでこの「支配と依存」の関係性は必ずしも必要とはされない働き方ができるようになりました。
がっちりとした上下関係が無くても、プロジェクト毎に有機的に人を集められる仕組みはインターネット上で既に実現可能であり、それを実際に実現している企業体もあります。
ぼくは会社組織の中に今もいるので、どうしてもその状況というのを理解することができないでいます。
お金が相手の手から直接ぼくの手に渡されると言う状況が、どうしても違和感としか感じないんですよね。。
従う労働者をつくる詰め込み教育
日本の教育はどれだけ知識を蓄えて、それをテストの時にどれだけ思い出せるかという詰め込み型教育です。
暗記する→書き出すという作業に、「なぜ?」とか「どうやって?」という思考は必要ありません。
ぼくら40台にとっては、聖徳太子といえばあの口ひげとあごヒゲをたくわえて木簡をもった男性ですし、1192年と言えば鎌倉幕府が開かれた年ですし、西郷隆盛と言えば浴衣姿の眉の濃いおじさんです。
でも、今の10代20代は違いますよね。
そして、今のインターネットでなんでも調べられる時代では、もはや知識を詰め込んでいることに価値はありません。
微分積分の公式を覚えることに意味は無いのです。
ちょっとググれば、積分を計算してくれるWebサイトを見つけられるからです。
今の時代に必要なのは、どうして聖徳太子という存在ができたのか、鎌倉幕府が開かれた経緯や人間関係がどうだったのか、西郷隆盛と明治政府の関係性をどう考えるか、積分はどんなときに役立つのか、を考える力だと思います。
それでもなお、知識を詰め込む教育から変われないのはなぜか?
その答えは、知識を詰め込むことに「思考が必要ない」からです。
思考を停止することに小学校の頃から慣れさせておくことで、大学を出たら会社に入る、会社に入ったら上司から言われたとおりに行動する、という会社に必要な歯車としての人間が出来上がるわけです。
これは既得権益を持っている人間にとっては、自分の地位を守るためには、無くてはならない仕組みです。
欧米の学生は小さい頃からディベートを行うことで、自分の意見を主張する訓練ができているそうです。
そして、中国の学生が高い英語力を持っているのは、その欧米と対等に仕事ができる人材を育てるためだということです。
日本では、「思考停止の人間を作る」教育を行ってきた、と言われるととても哀しいですね。。
内向きから外向きにベクトルを変える
「そんなこと無理だ」とか「分不相応だ」、「どうせできっこない」という思いのことを、自己否定と言います。
この状態では、会社の上司や家族から言われたことに対して、必死に自分の地位を守ろうとします。
ぼくもいざというときになると必ず、この自己否定が出てきてしまいます。
結果、決断をする場面にもかかわらず、何度も妥協を繰り返してしまいました。
この自己否定をしなくなると、自分から回りに影響を与えるようになります。
「こんな面白いことあるけどやってみれば?」とか「俺、こんなことできるんだぜかっこいいだろ!」って感じですね。
自分の身の回りの環境に対して、自己否定がある「ガードをしている状態」から、自己否定のない状態になることで、自分のまわりに影響を与えられるようになります。
まとめ
1日目の講義は、正直腑に落ちるレベルまでは理解できませんでしたね。
一番大きい理由は、自分が一度もピラミッド構造の中から出ていないことだと理解できただけでも、良かったと思います。
ただ、まる1日このレベルの話にどっぷり浸かることで、心の持ち方がだいぶ変化したことは実感できました。